一般社団法人ギャンブル依存症問題を考える会(田中紀子代表)は11月28日、日経カンファレンスルーム(東京都千代田区)において「ギャンブル依存症対策推進フォーラム」(共催・一般財団法人希望日本投票者の会)を開催した。2010年賭博問題で相撲協会解雇となった貴闘力氏を招き、ギャンブル依存症問題 に一刻も早く対策すべきと警鐘を鳴らした。貴闘力氏は「元関脇 貴闘力氏が語る赤裸々ギャンブル体験」と題して講演、自身のギャンブル体験を語った。
ギャンブル漬けの環境の中で生まれ育ち、借金取りから逃げるため何度も住居を転々としていた。小学校に入るまでに、金銭に関するギャンブル知識・計算高さ はすでに身についていた。お金に対して例えば、大金が手に入ってすぐに時計とか宝石など買うような人はギャンブル依存症ではない。お金があっても身なりは構わずそのままで、次のギャンブルの種銭に備えるというような考え方の人が怪しい。
小学生の時、親のギャンブル漬けに嫌気がさし、「絶対にギャンブルはやらない、関取になって、早く家を出ていこう」と、貴乃花(当時)関に入門を申し込んだ。「自分は絶対ギャンブルはしない、コツコツ金を貯めて・・・」という気持ちだったが、新米の頃は忙しかったけれども、段々上に上がっていく内に、稽古以外の空いた時間、ついつい気がつくと麻雀、そしてギャンブルに浸っていた。
89年春場所後の十両昇進の時、化粧まわし代などのために必要な400万円を使い込まれ、工面できず、気がつくと10万円を握って大井競馬場に立っていた。そこで400万円を手にした。以来、関取になると、午前は稽古漬け、午後は暇。大井競馬場、平和島、浦和など、月曜から金曜まで公営競技に通い、そして夜は麻雀という生活が日課だった。金が無くなるとすることがなくなり稽古漬け、次の場所成績を上げると懐具合が良くなっては、ギャンブルに費やすという繰り返しだった。それでも自分の金だったので、それはそれでよかった。
人にお金を借りてまでギャンブルをするようになった時、地獄が始まった。借金が倍、倍で増えていき、それを場所の賞金などで払った。25才の時、大鵬親方の娘さんと結婚することになり、親方から借金を聞かれ、親の分含め1億円あると返事。結婚を機に5年かけてコツコツ精算。以後、親方にはギャンブルしませんと誓った以上、仲間にさそわれ断れないので、隠れてするようになる。自業自得で、借金をしても公営競技をしている限りは、相撲協会をクビになることはなかった。しかし、違法(野球賭博)に手を染めた時、わからなければ大丈夫と軽い気持ちでいた。
賭博問題で処分を受け、大鵬親方から離縁を申し渡された時。「大好きな相撲ができなくなる。なんてバカなことをしたのだろう」とは思った。周りの人にも「だから言ったのに」と言われ、自業自得だとあきらめた。だからギャンブルは止めようとは思ったが、実はその後も懲りずにしていた。クビになった後、後援会の方などからカンパしていただき、焼肉屋を始めた。それからの1年間は一生懸命働いた。そして12月になり、正月は休もうということになり、12月29日から1月3日まで休みになった。することがなく、気がついたら韓国のカジノに行っていた。
自業自得で負けたのは諦めがつく。しかし、ある年末に従業員に給料が払えなくなった。かけがえのない従業員、一人ひとりには家族もいる。その事を考えるほどに自分自身本当に情けないと思った。頭を下げ、借金して回り、なんとか給料を払った。その時を境にきっぱりとギャンブルを止めた。といってもまだ1年半ほど・・・。
今でもウズウズはする。でも冷静に考えると儲けているのは胴元。宝くじで10億円当たる当たると芸能人が宣伝しているけど、なんと半分は胴元。わかっててするのがアホなのでしょう。こんな私にギャンブル依存症の相談に来られる方がいる。そんな時、ギャンブル依存症になっている人には金を貸さないこととキッパリ言っている。金を借りるためならどんなウソでもつくもの。絶対に甘やかしてはいけない。
当時の自分を振り返ると、私には、あんなに優しい大鵬親方がいた。年寄株売ればなんとかなる。そうした最後には何とかなると甘えの気持ちがあったのだと思う。